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2016/09/12

エッセイ

必ず最後に愛は勝つ

先日、Twitterのホーム画面を見て、気がついたんです、
あれ?もしかして私、Twitter始めてからもう10年以上経ってるんじゃない…?(驚愕)
ってことに。
時間が経つのは速い系の話は天気の話と同じ、日常会話における慣用表現ですけれども、それにしてもはやくね?本当、ちょっとビビりましたさすがに。

で、10年前のTwitterはそういえばまだ英語ver.でネットニュースの紹介から大量に日本人が流入したけれど(私もその一員)、UI悪いわしょっちゅうサーバーダウンするわで、1ヶ月くらい使った後はみんなmixiとかMySpaceとかに帰っちゃいましたよね。何が面白いんか分からんわー言うて。その後日本語版がリリースされたり、色々あってまた盛り返したように見えたけれども再び風前の灯火みたいな時期があったように記憶しています。

が、そこで登場したのがスマートフォンです。あれで写真や動画をシェアしてテキストを書くということが携帯電話時代より随分手軽になりまして、その影響もあって盛り返したんじゃないでしょうか。facebookはまだPCで見ることあっても、メッセージみたいな短いやり取りのTwitterは、今やスマートフォンアプリでしかほぼ見ないし。

最近、カフェオレ・ライターマルコ氏がブログ内で

2001年から2011年までの10年間よりも、そこから2016年までの5年間の方が、インターネットの変化が大きかったと感じている
カフェオレ・ライターは15周年を迎えました。より引用)

と書いてらっしゃったのを見て、頷きすぎて首が捥げるかと思いました。私は常にROMっていた根暗なインターネットガールの一人ではありましたが、2000年代と2010年代じゃ明らかに違うものがある気がする。
別に「過去は良かった」的なことを言うつもりはなくて、今のインターネットもそれはそれで好きですけれども、やっぱりこうコンテンツの濃さみたいなのが薄れてきて、インターネットコンテンツが一部マスメディア化してきていると思う(相互に侵食し合っているといった方が正しいかも)。

私の中での2000年代インターネットと言えば、Yahoo!チャットのチャット部屋で喋っていた空気とか某掲示板のスレッドのアングラ感とかで、こういう懐かしいものを挙げるとキリがないのですが、その中でもやはり一番懐かしいなーとなるものは、数々のテキストサイトです。

上に挙げたカフェオレ・ライターもそうですが、テキストサイトというのは、まあそれぞれが書いた文章を発表している場って言うんですかね。今みたいなブログシステムが存在していない時代、自らの力でHTMLを書いたりホームページ・ビルダーを使うなどして作り上げたサイトの中に書かれた日記、あるいはエッセイ的な文章のことを指している(と思われます)。もちろん日記だけを淡々と更新するサイトもありましたが、多くは色んなコーナーが設けられていたりして、そのホムペの中に掲示板がありキリ番があり、また相互リンクなどがあったりしたもんでした。

でもだいたいのテキストサイトは、消え去っているんです。物理的に、だけでなく残ってはいるけれども最後に書かれた2012年くらいのエントリで「1年ぶりの更新ですが…」とか書かれた後めっきり更新されず、広告だけがドーンと居座っていて、しかも大抵の記事では「これからは再開してボチボチ更新していきます」的な宣言をしているもんだから切なさ倍増。

じゃあその人たちどこ行ったの?って、それがfacebookやTwitterにはほぼ居ないんですよね。多分年齢的なもんなのかな?一時期熱中したあの空気が、もうネットにはないから嫌になったのか。とにかく、今やテキストサイトといえばテキストと画像を交互に交えて、しかもタイトルとか小見出し、イラストなどで相当に味付けされた存在へと変わっています。確かに、もうライバルは見やすいレイアウト&短い文章のSNS(しかもアプリで起動)なのですから、当然の変化なわけです。

そんな状況の中、昔と変わらぬオールドスタイルで、古参テキストサイトの書き手でありながら細々と、本当ギリギリ首の皮一枚といった感じで更新を続けていらっしゃる、加藤はいねさんという方がいらっしゃいます。

もうこの界隈では知る人ぞ知る、といった存在なのでアレなんですけれども、インターネットとの親和性が異常に高い文章を書く方で、その絶妙なバランス加減が数多のファンを生み出しました。感動とかタメになる、とかそういう感じじゃなくて、はいねさんのブログが存在することが、密かに心強いって言うんですかね。忙しい日々に心が荒んでいたとき、一人深夜で読み更けって、まぁ明日もそれなりに頑張るかーみたいな気分になれるテキストサイトでした。

残念ながら今はそのサイト本体自体は消えてしまったのですが、残っているブログはいくつかありまして、その中でも更新されていない方のブログではありますが、今日読み返して改めて私のインターネットにおける文章の価値観のルーツはここなんだなと思ったので、一部を引用します。

そういえば、最近「加藤のブログは地味だ。もっと初めて来た人を引きつけるような派手さがあれば、人が集まるよ」と助言を頂きました。
ごめん、ほんとはもっともっと地味にしたい。
(中略)
えっと、本とか読む?
私も一年に一冊くらい運が良ければ読むんだけど、本って一文だけ楽しめても駄目で、本を閉じたときに、ああこれおもしろかった良かった・・って思わないと駄目で、
んじゃ、私は、文章ってそういうものだと思う。
確かに前に出したいフォワードな一文もあれば、どっちかっつーと守りの要みたいな一文もあるけど、そういうのがうまく流れて一つのもんになればいいと思うし、全部の段落一丸となってのチームプレーが好きです。
だから、まあ、ここ一点で攻めてくようなテクニック、例えば文字の拡大だとか色付け装飾なんかはせず、舌に乗せたときのリズム感やまとまりだけを結構意識して書いてます。

(挿管するも食道なり 校長先生の挨拶より引用)

もちろん、はいねさんレベルの方がこう書くから格好いいのであって私が「だからベタ打ちでブログ書いてるんです」みたいなのってちょっと違うとは思うのですが、なんていうんですかね、テキスト愛っていうんでしょうか。
やっぱりYOU TUBEが生まれる前からインターネットに文字を刻んできたサイトのファンだった身からすると、2次加工3次加工でコンテンツ作成、新世代の才能の青田買い、まとめサイトを適当に読んで意見する、みたいなことで構成される、表面を掠め取ったサイトが全然面白いと思えない。

というわけで、なんとか文字だけで読みたくなる文章を書く、という時代錯誤なやり方で私は生きていこうと思います。そしてかつての私がその存在を心強く感じたように、明日起きて学校に行くのが嫌、仕事に行くのが憂鬱な人の深夜のお供になれればいいなと。半年くらいたったらあっさり気が変わっているかもしれないけれど、少なくとも今のところは。

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