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2016/09/17

エッセイ

私たちは 永遠に創造し続ける

毎日ブログを書こうとして1週間、早くも書くことに悩んでしまい、今日も何も書くこと無いなあ〜と放って更に4日間。
毎日新しいネタを淡々を更新するのはとても難しい、ということがよく分かりました。

超短文で日常の感想を表すのだったりニュース系だったりすれば何がしかはあるのだろうけれども、ある程度まとまったボリュームで内容のある文章を書くとなると、何かが起こらなねばなりません。いつまでも過去の話を書いていると、そればっかりかとうんざりしてくるし。だからと言って自分の身の回りに起こることや環境なんて、1週間や2週間では早々変わらないのです。自ら毎日アクションを起こさない限りは。

そこで、これから毎日何か新しいことを一つ始めてみようと思ったのですが、これが中々むつかしい。
大体新しいことって何だよ、世界一周の旅でもしない限り無理じゃないのと一瞬思ったのですが、それってつまり自分自身の創造力が全くないということでは?と思ってしばらく落ち込みました。これまで割と私はインプットが多い方で、アウトプットをもう少し頑張らねばと思っていた矢先だっただけに、尚更ショック。

そういう時に限って日常生活も乱れているんですよね、よく考えると。毎朝6:30くらいに起きて、さあ〜今日も頑張るか!という気分にしたり、規則正しく食事をとったりお風呂に浸かったりしないと、新しいことを生み出すも何も、生活を送るだけで一杯いっぱいになってしまう。それで今日も大したことができなかったぞと自己嫌悪が起きて、一体私はこの先良い仕事をすることができるのだろうか、一生このままなのじゃないだろうかと悶々と夜更かしするようになって…という典型的な悪循環に陥ってしまいます。

この自縄自縛から抜け出すにはこう、何か前向きな力が必要で、その時にいつも決って思い出すようにしているあるドラマのシーンがあります。
それはケン・フォレットの小説、”The pillars of the earth“を元にリドリー・スコットが制作した一連のミニ・ドラマシリーズで、大聖堂という作品です。

基本的には歴史を背景にしたフィクションで、キリスト教界の争いやら王族の後継争い、また戦いの話などいかにも歴史ドラマっぽい内容なのですが、主人公が石工たちであるところがこの物語の特異な点です。彼らは舞台となるキングスブリッジに大聖堂を建設するべく、司祭とともに奔走します。

背景となる時代は、創造よりも破壊が勝っていた暗黒時代であると同時に、アメリカの歴史家charles homer haskinsが提唱した12世紀ルネサンスと呼ばれる時にあたっていて、大学というものが創立されたり、吟遊詩人が流行ったりしたのとともに、ゴシック様式の建築が始まったとされています。ケン・フォレットもこれに習い、物語の中で、終焉を迎えつつあるロマネスク建築からゴシック建築へと発展をたどっています。

大聖堂の建設に当たっては様々な困難があり何十年という歳月が経ちますが、ついに最終話、完成した大聖堂の前で登場人物がこう言います。
「私たちは、永遠に創造し続ける」と。
虐げられ、燃やされ、破壊されるそれまでの幾つものシーンの後で、その台詞は眩いばかりの輝きを放ちます。

だから自らの人生の儚さや沈んだ日々のことを思うとき、この台詞思い出し、私は勇気付けられます。とにかく何か作ろう、創造的な日々を送るべく、努力しようと。
何か特別に大きなことをしなくても良いので、日常の中でクリエイティビティが存分に発揮できるように頑張ろうと。
それは、たとえ私が石工や芸術家でなくても、十分に可能です。この姿勢を保つことこそがアートだと思っていて、だからちょっとしたアイディアを日々生み出せばいいのです。冒頭に書いた通り、それが一番むつかしいのですけれど。

ここで、最近私が大いにインスピレーションを受けたヒントの一つをご紹介しましょう。YOKO ONOの『COUPLE EVENT』です。

これは一組のカップルの関係性を深めるためのインストラクション・カードで、毎週末にそれぞれ違うアクションを起こします。それでその結果起こったことをお互いに受け止め、関係性の中に新たに組み込むのです。これは全て指示通りにすると2ヶ月弱くらいかかるのですが、何も絵筆を握ることや彫刻することだけがアートなのではなく、そうやって日々自らに問いかけ変化を起こすことこそが、日常を創造的に生きるということなんじゃないかなと思っています。

現代をアートに生きる方法、他にも知っていらっしゃる方がいればぜひ教えてください。

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