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2016/09/30

エッセイ

Present Day, Present Time

私が電線を意識することになったきっかけは、serial experiments lainというアニメでした。

lainについて、言葉で説明するのはちょっと難しくて、
レビューを読んでも「難解な」とか「哲学的な」と表現されていることが多く、暇つぶしの娯楽としてのアニメを楽しむ人向きでないことは確かです。
あんまり意味とか内容は実はよく覚えていないのですが、その非現実的な雰囲気が私の過ごしている日常感覚と似ていたので、ちょっと親近感を覚えたのでした。

特に1番アーッとなったのが、lainが電車の窓から電線を眺めているシーン。
似たようなシーンが何回か繰り返されているのを見ていると、かつて電線が流れていくのを毎日見、意識が頻繁に浮遊していた日々のことを思い出しました。

日本は国土が狭いから、交通網然り、ネットワークが至る所に張り巡らされていて、電線も冷静にみたら凄くもじゃもじゃしてますよね。空中で。都会部で空の写真撮るのに、電線入れずに撮ることはほぼ不可能なくらい。
何かうまく言えないんですけど、どんだけ近代化しても、線で繋げる、というこの感じは今でも変わらない、それって結構アナログだなっていうか。結局物質がそこにあるか、ないか、という状態。
で、私はそれを眺めるのが好きです。

電線の中で電気が流れているとき、無数の粒子で満たされているわけですが、人間が考えごとしている時の神経も、世の中の物流も、宇宙の中で星と星を繋ぐロケットも、みんな存在確率がとても高くなっている。そのためにエネルギーがたくさん使われていて、人間社会らしい感じがするんですよ。厨二病っぽい妄言ですけれども。
そんな電線をぼーっと見ているのって、何かその人間たちの社会活動を一歩引いて眺めながら通り過ぎていく感覚なのです。電線のある風景って世間的には日常なんだと思うんですが、私からすると非現実的というか、ちょっと幻想的というか。

もし、電線みたいなアナログな「線」が無い世界になったら、世界自身が巨大な一つの生き物という状態で他者と自分の区別がつかなくなってしまうだろうから、それはまた別の生態系になってしまうので、私はこの電線が動脈のように世界を走っているの今の世界を見るのが、好きです。

だから、今日も電線を見て、ちょっと他人事の感じで、ノスタルジックに幸せだなと思うのです。
どこにいたって、人は繋がっているのよ。
記憶の中のレインが私に向かってそう言うのを聞きながら、何食わぬ顔で人混みに紛れるのが、21世紀の東京で過ごす醍醐味みたいなもんかなと思います。

ブオーーーン
ブオーーーン
(lainの中で流れる電線の音)

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